他から学ぶ...いろいろな人生を知る(3) ...あきらめなかった34年間
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3.杉並高校吹奏楽部 あきらめなかった34年間
あなたは、10月8日(日)のTBSのSHOW TIMEをご覧になりましたか。
最高金額を獲得したのは最後に出てきた都立杉並高校の吹奏楽部の生徒たち160名と、彼らを指導してきた五十嵐清氏。
その演奏にも感動した方が多いことでしょう。
しかし、その指導者の五十嵐氏に感動した方も多かったのではないでしょうか。
指導22年目にして、全国大会初出場。
昨年34年目にして、全日本高等学校選抜吹奏楽大会でグランプリを受賞した。
杉並高校の演奏スタイルの面白いところは・・・踊りながら演奏する事!
しかも、ペットボトルやポリバケツなど身近にあるものを楽器として演奏につかいます。
実はこれ、昔、楽器を買う部費がなく、その不足分を補う為に取り入れたのが始まりだったそうです。
これが以外にも好評で今では杉並高校の名物になっています。
五十嵐氏は、同校の吹奏楽部部員でした。
同じく部員だった現在は妻の宏子さんと共に、同校を卒業後、すぐに吹奏楽部の指導者になりました。
氏が在籍した時には部員8名、全国大会など夢のまた夢でした。
しかし、そんな吹奏楽部を引っ張って、彼がなぜ、全国大会を目指して34年間もあきらめなかったのか。
それは、彼にとってひとつの辛い体験からの決意でした。
彼が高校2年生の時。
同じ吹奏楽部の佐藤君は本当に全国大会出場を目指して、頑張っていました。
しかし、当の五十嵐氏は、こんな廃部寸前の吹奏楽部が全国大会に出場できるわけがないと思い、練習をまじめにしていませんでした。
ところが、ある日、その佐藤君が不慮の事故で亡くなってしまったのです。
葬儀の夜、佐藤君の母親から封筒を預かりました。
それには、佐藤君が楽器を買うために貯めていたお金が入っていました。
佐藤君は本気で、全国大会を目指していたのでした。
そのことをその時にはじめて知り、彼は号泣しました。
自分ははなから諦めて挑戦しようともしなかった。
そんな自分を情けなく思い、恥ずかしくもあったのでしょう。
そこで、彼は決意をしたのです。
この吹奏楽部を全国大会へ導くために、自分が指導しようと。
彼は、学校の先生ではありません。
高校卒業後、東京都の消防庁へ入り、現在では東京消防庁音楽隊長の指揮者をしているそうです。
高校の吹奏楽部の指導料など、これまで一切もらっていません。
ずっとボランティアです。
そして、生徒たちには、絶対に諦めるな!といつも励まし、また、吹奏楽のことだけでなく、生徒の将来のことや進学のことに対しても、相談にのったり、アドバイスしたり、生徒にとってはこの上ない重宝な存在なのです。
彼の執念ともいうべき、22年間、いや34年間。
しかし、決してただ苦しいだけの34年間ではなかったことが伺えました。
それはなんとも楽しそうに全身で踊りながら指揮をしている五十嵐氏。
その姿をみて、彼は佐藤君の死を無駄にはしたくないと思い、その志を受け継いだが、彼も生徒たちといっしょに楽しみ、そして元気をもらい、元気を与えていた。
だからこそ、続けてこられたのだと感じました。
誰かの志を受け継いだとしても、無償でここまでのことが、できるでしょうか。
彼は、『あきらめないことが大切!』それを身をもって生徒たちに知らしめるために、自らを模範として、また彼らとともに過ごすことを生きがいとして、生きてきたのでしょう。
私の中で、諦めてしまっていることは、本当に諦めてしまってよいものでしょうか。
挑戦したことで失敗するかもしれない不幸を想像して、思いっきり生きていない自分がここに存在していることに気がつきました。
日時:2012年12月10日 22:31
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